花輪ばやしの歴史

花輪ばやしは、花輪の総鎮守「幸稲荷神社」に奉納される祭礼ばやしです。

1470年より以前に幸稲荷神社で火災があり、記録資料が消失しております。そのため、起源や歴史的な背景が正確に解明されておりませんが、囃子の起源は平安時代末期、都からこの地方に流れてきた貴人の笛の曲に、後世、太鼓・鉦・三味線がついて現在のような形になったと考えられています。

現在のようなお祭りの形になったのは、神明社にある御輿の購入記録から、江戸時代の文化文政の頃だと考えられます。

  • 昭和16年 谷地田町の旧屋台
  • 昭和20年代 谷地田町の旧屋台
  • 昭和8年頃 谷地田町のシャギリ屋台

谷地田町ホームページさんより掲載許可をいただき、昭和初期の花輪ばやしの様子を紹介しております。今はなきシャギリの屋台の写真もあります!


昔と今との違い

現在お祭に使われている屋台は十町内ともすべて、囃子の演奏者が歩行する「腰抜け屋台」と呼ばれるものですが、かつてはこの屋台の他に、「本屋台」と呼ばれる二階建ての屋台と、「飾り山車」と呼ばれていた屋台の三つがありました。

また数年ごとに「高砂の屋台(シャギリ)」も出ており、多いときには十二、三にもなっていたそうです。豊作の時は「本屋台」で演奏し、平年作の年は「腰抜け屋台」で演奏するならわしでした。

残念なことに現在、本屋台は保存されていません。数年に一度行われていた「シャギリ」の屋台は、本屋台と同じ造りであったと言われています。